昔ながらの「たたら製鉄」実演

(2017年05月22日)


小栗まつり

 倉渕ゆかりの幕末の偉人・小栗上野介忠順公をしのぶ小栗まつりが21日に倉渕小学校と小栗公の墓所・東善寺で行われた。
 小栗公は、万延元年(1860)年、遣米使節団の目付として渡米し、アメリカの海軍造船所を視察。帰国後、横須賀に製鉄所、造船所を建設するなど日本の近代化の父として大きな功績を残した。権田村(現倉渕町権田)に隠棲したが新政府の東山道軍(官軍)の命令で、慶応4年(1868)閏4月6日に、水沼の烏川河原で、家臣とともに斬首された。42歳であった。小栗上野介顕彰会では、小栗公が斬首された閏4月6日を現在の5月27日として、追悼供養の行事を行っている。今年は小栗公没後149年、150回忌となる。
 式典で、小栗上野介顕彰会の市川平治会長は「小栗公の名誉を回復し正しい歴史を発信しようと活動を続けてきた」とあいさつ。高崎市の兵藤副市長は「小栗公顕彰の輪が広がり倉渕と本市の発展につなげていきたい」と述べた。また、横須賀市から市議会副議長や副市長らが出席し、小栗公の功績を語り継ぎ、横須賀市と高崎市の連携の輪を広げていきたいと語った。
倉渕中学校音楽部の記念演奏が式典に花を添え、来場者を楽しませた。東善寺では、小栗公追善法要が行われ、大勢の参拝者が小栗公と家臣の墓前に線香を供え、手を合わせた。
 記念講演では、小栗公が建議し明治時代に設立された下仁田町の「中小坂鉄山」について中小坂鉄山研究会の原田喬さんが語った。講演に関連し、たたら師・永田和宏さんらにより、古来から近世まで続けられていた「たたら製鉄」の実演が東善寺境内で行われた。
 倉渕地域の子どもたちが集めた砂鉄20kgを、レンガ積の炉に入れ、鉄づくりを体験した。永田さんは、炉の周りでたたら製鉄の製法を説明し、参加者の熱心な質問に答えていた。「 鉧=けら」と呼ばれる大きな鉄の塊ができる予定だったが、砂鉄成分が不足し、数センチ程度のいくつもの塊となってしまったが、参加した子どもたちは、銀色ににぶく輝く鉄の塊を見つけ、磁石を近づけて見ながら、歓声を上げて大喜びだった。

高崎の都市力 最新記事

  • 株式会社環境浄化研究所
  • シネマテークたかさき
  • ラジオ高崎
  • 高崎市
  • 広告掲載募集中