直政時代の風格ある城門を復元
(2016年11月24日)
郭馬出西虎口門
約500年前に長野氏によって築かれた国指定史跡「箕輪城跡」に戦国時代当時の城門を復元しようと、高崎市が建築してきた「郭馬出西虎口門(かく・うまだし・にし・こぐち・もん)」がこのほど完成し、11月23日から一般公開になった。
復元された門は、城下の南側から箕輪城の中心部に出入りする重要な場所にあり、箕輪城の最後の城主となった井伊直政の時代(1590年から1598年の間)に使われていた。高崎市は、箕輪城の中心部で7カ所の城門の発掘調査を行っており、調査した城門の中で、この郭馬出西虎口門が最も大きな規模となっている。礎石の配置をもとに、現存する全国の城門や城絵図から門の上部構造を考証し、平成24年度に文化庁の検討委員会で復元案が承認された。
門の高さは約6・5m、幅約5・7mの櫓門(やぐらもん)と呼ばれる二階建ての構造で太いケヤキやマツなどの材木を伝統的な技術を持った職人が、手作業で加工。国指定史跡における戦国時代の城門の復元は全国6例目で、この城門が全国最大規模という。徳川家臣として最高禄を拝領した井伊直政の城にふさわしい風格を備えている。なお直政時代の遺構を保存するため、復元門は発掘した遺構の上に50cmの盛り土をして建築されているそうだ。
箕輪城跡は日本百名城(日本城郭協会)に選定されており、深い空堀をめぐらせた難攻不落の城として、戦国ファンや城郭ファンに人気の史跡だ。箕郷地域でも、合戦を再現したイベントや語り部による観光案内など、箕輪城跡が地域づくりの柱の一つとなっている。城門復元は、長年にわたる地域の悲願でもあったようだ。
23日に現地で完成記念式典が行われ、富岡市長は「観光や歴史散策で箕輪城を訪れる人が増えている。今後も箕輪城整備を続け、魅力を高めていきたい」と話した。箕輪小6年生が「箕輪城の歴史を継承していきたい」と元気に発表し、完成のテープカットが行われた。
郭馬出西虎口門の復元は平成26年6月着工、28年11月完成。工事費は約9千万円。郭馬出西虎口門に続き、高崎市は、今後、本丸西虎口門を復元していく予定。
◇箕輪城=西暦1500年頃に長野氏が築城し、長野氏4代にわたる西上州の拠点城。永禄9年(1566)に武田信玄の侵攻で落城後、武田、織田、北条、徳川と移り、天正18年(1590)に家康家臣中最高禄の12万石で井伊直政が城主となった。慶長3年(1598)に直政は高崎に城を移し、箕輪城は廃城になった。西上州の戦国時代を代表する城郭で大規模な堀と良好に残る虎口が特徴。
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