下佐野「漆山古墳」が市に寄贈
(2016年05月13日)
漆山古墳墳丘(後円部を南西からのぞむ)
漆山古墳石室入り口(南から)
漆山古墳石室内部
上野三碑につながる史跡
下佐野町の「漆山古墳」と管理用地1500㎡が、このほど所有者の堀口さんから高崎市に寄贈された。
漆山古墳は、かつて80基あまりあった佐野古墳群の中でも最も規模の大きな墳丘を持つ前方後円墳で、所有していた堀口さんは代々伝わるこの古墳の維持保存に努めてきたが、高齢になったために手入れが困難となり、高崎市に寄贈することに決めたという。
漆山古墳は6世紀後半に築造され、墳丘長70m級の大型で、凝灰岩を積み上げた全長8mの横穴式石室を持つ。
高崎市によれば、この場所は、6世紀後半ごろにヤマト王権の直轄地「佐野屯倉(三家)=さののみやけ」の推定地にあたる。漆山古墳は、上野三碑の山上碑(681年)、金井沢碑(726年)を建てた一族の祖先であり佐野屯倉(三家)の管理者であった豪族が葬られている可能性が高い。
山上碑は、佐野屯倉(三家)管理者の子孫、僧侶「長利(ちょうり)」が建てたもので、金井沢碑も佐野屯倉(三家)ゆかりの氏族が建立者であることがわかっている。漆山古墳は、上野三碑とも密接に関係し、地域史研究の上で第一級の資料と評価されている。
所有していた堀口さん(89歳)は「先代から古墳の大切さを教えられ保存してきたが、高齢のため手入れが難しくなり、市に寄附することを決意した。受け入れていただき家族も喜んでいる」と話しているそうだ。
高崎市教育委員会では、寄贈を受け、古墳を大切に管理・保護していく。