上野国分尼寺跡を国史跡に答申
(2024年07月21日)
上野国分尼寺跡の指定範囲(高崎市教委)
上野多胡郡正倉跡の全景(高崎市教委)
多胡郡正倉跡の追加指定も
令和6年6月24日(月曜日)に開催された国の文化審議会(島谷弘幸会長)で、史跡の新規指定として高崎市東国分町の上野国分尼寺跡(こうずけこくぶんにじあと)、追加指定として高崎市吉井町池の上野国多胡郡正倉跡(こうずけのくにたごぐんしょうそうあと)が答申されたことを高崎市はこれまでに発表した。
新規指定・上野国分尼寺跡
所在地:高崎市東国分町175番2ほか
上野国分尼寺は聖武天皇が全国に建立させた国分尼寺の一つで、8世紀中葉頃に創建された。史跡上野国分寺跡と国分尼寺は300mほどの距離で東西に配置されている。国分僧寺と国分尼寺の状況が分かる全国でも貴重な例で、古代の仏教文化を理解する上で重要な遺跡となる。
面積は2万2802㎡で、伽藍の主要建物は、尼坊、講堂、金堂、中門が直列に南面に向けて配置されており、回廊により金堂南廂が結ばれていると見られる。
追加指定・上野国多胡郡正倉跡
所在地:高崎市吉井町池498番3ほか
多胡郡正倉跡は多胡碑の南約350mに位置し、徴税した稲などを収納する公的な倉庫である正倉の遺跡。令和2年3月に国史跡に指定された。既に3万2517㎡が指定されており、今回1103㎡の追加指定が答申された。
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