柴崎浅間山古墳が高崎市に寄贈に
(2021年12月14日)
高さ4・2mの方墳
柴崎町の柴崎浅間山古墳が高崎市に寄贈され、確認調査と周辺の整備が終わったことから、高崎市教育委員会は現地説明会を12月12日に行った。先立って報道機関向けの説明会が12月9日に行われた。
高崎市教育委員会の発表によれば、柴崎浅間山古墳は、確認調査で、古墳時代前期の4世紀の築造、一辺約25mの方墳、墳丘高4・2mで保存状態が良いことがわかった。
この時期の方墳は珍しく、県内でも数例しか見つかっていない。
現在、高崎市が造成を行っている高崎354複合産業団地の南側の丘陵地形にあり、卑弥呼に関連する三角縁神獣鏡(東京国立博物館蔵)が出土した蟹沢古墳(現在は消失)に隣接している。また柴崎浅間山古墳と同時代の古墳では、この地域の北に、全長95メートルの前方後方墳「将軍塚古墳」があるなど、古墳時代前期の貴重な資料となる。
政権との関係も深く、この一帯に広がる水田地帯の有力者の墳墓としての物語が浮かび上がる。
柴崎浅間山古墳は、「上毛古墳綜覧(昭和10年)」では群馬郡大類村17号墳として登録され、浅間山古墳の名称由来は、後世の浅間信仰によるものとされる。古墳の周囲は周堀(しゅうぼり)が巡らされ、掘った土を古墳の盛土に使用したと見られる。葺石は施されていない。高崎市の確認調査では埋葬施設は見つかっていない。高崎市は寄付者の意向を尊重し、柴崎浅間山古墳を保存継承したいと考えている。
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