恩師が語る山田かまち
(2015年3月10日)
竹内俊雄氏が語る“新たなかまち像”
3月8日(日)高崎市山田かまち美術館で、山田かまちが小学校3年生の時に担任だった竹内俊雄氏によるギャラリートークが開催された。30人余りの来場者は、作品に触れながら、直接かまちを指導した担任教諭の話に一時間、熱心に耳を傾けた。当時、東京藝術大学を卒業し間もない新任の竹内氏は、かまちの卓越した才能をいち早く見抜いたエピソードなどを披露。美術教師、そして画家という視点からの見解に、新しい画家・山田かまち像が垣間見られた。
一日2度登校したかまち
竹内氏が初めて教壇に立った高崎市立倉賀野小学校3年のクラスに、山田かまちがいた。毎日、家に帰ってカバンを置いて、友達と氏のもとに再登校したというかまち。目の前で描いた“鷲”の水彩画について「構図といい完成度といい、9歳で一端の画家の作品だった」と語る。また、課題の裏に描いた「世界地図と水牛」にも目を見張ったという。一本線で描いた正確な世界地図と動き出しそうな牛だった。また幼少期すでに、“ライオンのたてがみ”を3原色で表現していることに注目。「対象のものを単色でなく混色をして描く。こういう表現は天分。教え事ではない。生まれ持った、物を見て感じる深さ、色のセンスが4歳で備わっている」という。
3枚の自画像
また、中学から高校時代に描いた自画像群について、「さりげなく赤をぽんと入れている。これが非凡。青の中にさりげなく、赤を入れられるところが嫌味なく、画面を引き立てている。知識としてじゃなく、持って生まれたもの」。また、「自分にナイフを向けたような非常に切羽詰ったようなものもあるかと思うと、非常に冷静に自分を見つめるような肖像画もある。かまち君の詩をみると、非常に悩んだ詩が見えるけれど、根底を見ると穏やか。非常に余裕がある。自分を見失わない。亡くなる前日にお母さんに聞いた問いかけ“僕って何”という言葉。自分を冷静に見直している。本人は自信を持っていたんじゃないか。周りから見ると、大変悩んだんじゃないかなと思うけれど、自分が表現するものがあったので、自分なりに昇華して。それでも、どんどんあふれてくるので24時間じゃ足りないよと。ものすごく充実した時を過ごしたんじゃないか」―。
その他、絵から見えるかまちの心情などを、氏ならではの視点で語った。また、高崎の美術評論家・井上房一郎氏のもとへかまちを連れていき「うまく伸ばせば光琳や宗達のようになる」と話したというエピソードや東京の「モナリザ展」「山水画展」などに連れていき美術について語り合ったことなど、かまちを身近で見守った氏ならではの話が披露された。また、母・山田千鶴子氏も途中、竹内氏の質問に答える形で飛び入り参加し、来場者は新鮮なかまち像を身近に感じたようだ。