多胡郡衙の主要施設「正倉院」を発見
(2014年11月17日)
炭化米の発見で正倉院(倉庫)と認定
高崎市教育委員会は、吉井町岡地区で進めている多胡碑関連遺跡の発掘調査で、多胡郡衙の一部となる倉庫群「正倉院」を発見したことを14日に発表した。
発表によれば、発見場所は、多胡碑の500mほど南で、高崎市は、平成23年度から多胡碑周辺に推定される郡衙(ぐんが=郡の役所)や関連する遺跡の調査を行っており、昨年度は大きな石の基礎を持つ大型建物(礎石建物)一棟を確認した。今年度の調査で、この建物の北側で第二の礎石建物、東側で炭化した米が発見された。
多胡碑周辺調査検討委員会(委員長=秋池武・下仁田町ふるさとセンター所長、佐藤信東京大学大学院教授、山中敏史・奈良文化財研究所名誉研究員)で、この建物は米など穀物を納める正倉(しょうそう=公的な施設に設置され穀物などを納める倉庫)で、この場所が多胡碑と同じ奈良時代の正倉院(複数の正倉が区画で囲われた場所)であったと認定された。
正倉院は、郡衙を構成する主要施設で、市では、多胡碑と関わりのある郡衙遺跡の一部が確認された貴重な成果としている。正倉は南北方向に配置され、他にも複数の建物が存在していた痕跡がある。
調査区域内には、幅7~8mの浅い谷が埋没しており、正倉はこの谷を避けて高台に作られていた。埋没谷の中には人頭大の多量の石と、多胡碑と同時代の瓦も見つかった。また浅間山火山灰(平安時代末)の下の地層から籾を付けたままの米が少量みつかり、米を備蓄する正倉があったことが想定される。
高崎市は、この遺跡の特徴として、瓦を使った正倉の事例は群馬県内にはなく、全国でも稀であること。多胡郡は新規の郡であることから新設の正倉院として、他の郡衙と比較できる重要な遺跡となること。正倉院の中は平坦に造成するのが一般的で、他の立地と比べて特異なことを上げている。
高崎市は、多胡郡衙して確定を進めるため、郡衙を構成する郡庁、館、厨などの発掘調査を進める。
17日の高崎市議会総務教育常任委員会で、飯野教育長は「上野三碑はユネスコ世界記憶遺産登録をめざしており、今回の一連の発見は大きな前進になる。遺跡の全体像が明らかになれば、歴史的な価値を全国に発信していける」と考えを述べた。