高崎線も絹産業遺産/群馬学で高崎線130年シンポ

(2014年6月25日)

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群馬の観光にも大きな可能性、アイデアも提起

 第26回群馬学連続シンポジウム「日本のシルクロード・高崎線130年」が21日に群馬県立女子大で行われた。
明治17年(1884)5月の高崎駅開業から130年となり、高崎線は群馬の生糸、絹を横浜へと輸送し日本の近代化を支える「シルクロード」であったことに着目し、世界遺産の富岡製糸場との関係や、群馬の観光などについて3時間にわたって考えあった。
 基調講演は、JR東日本執行役員・高崎支社長の江藤尚志さん、パネルディスカッションは、上毛新聞社論説委員長の藤井浩さん、ジャーナリストで「群馬の逆襲」の著者・木部克彦さん、ぐんま観光特使の佐藤勉さん、日本銀行前橋支店長の冨田淳さん、司会を県立女子大学群馬学センター副センター長の熊倉浩靖さんがつとめた。
 藤井さんは、絹貿易を通じて横浜から群馬に文化が流入し、シルクカントリー群馬の精神性が形成されたと考え、鉄道開通は萩原朔太郎のような詩人の誕生に関係していることを説明した。
 木部さんは、養蚕農家で育った経験を披露しながら、カイコから絹までの過程を体験できる博物館を高崎の東口に歴史遺産センター・世界遺産センターとして設置することや、高崎駅に工女姿の女性が歩いているのもおもしろいなどと提案した。
 江藤さんは、上毛かるたは群馬県民になじみ深いが、かるたに登場する史跡などを県民は実際に行ったことがないことが多く、県民が自分で語れることが大切と指摘した。
 佐藤さんは、元JR高崎支社長で高崎線を日本のシルクロードとして提唱しており、明治政府が高崎と横浜を鉄道で結ぶ背景や鉄道ルートについて説明した。
 富田さんは、歴史を学び群馬の強みを生かすことがビジネスにおいても重要と指摘した。
 また佐藤さんは、目的地までの群馬の2次交通の不便さを指摘し、江藤さんは高崎支社管内でも新都市交通のLRTを検討する時が来るだろうと述べた。
熊倉さんは「高崎線も絹産業遺産群だった。絹産業が失われつつある。世界遺産登録は、群馬を起点に日本の近代を作ってきた歴史をあらためて考える時だと、世界から群馬へおくられたメッセージではないか」とまとめた。
 この日は、富岡製糸場の世界遺産登録が正式決定される日程と重なり、シンポジウムの開催中に決定されるのではないかと期待されたが、残念ながらシンポジウム終了時間には、間に合わなかった。
(江藤尚志氏はシンポジウム開催日の役職名。現取締役東京支社東京駅長)