髙崎唱歌
散歩風景 ⑩
吉永哲郎
唱歌の11番は、「十五連隊衛戍(えいじゅ)地は松風清き高松町 昔ゆかしき城跡に朝夕聞ゆラッパの声(ね)」です。
「衛戍地」とは陸軍の軍隊が常駐するところで、1872年(明5)年に兵部省直轄になった城跡が、翌年東京鎮台の所轄となり、1884(明17)年に歩兵第15連隊が設置されました。高崎連隊は、西南の役・日清、日露戦争に出勤しています。当時の面影はありませんが、音楽センター東の城跡公園に十五連隊歌の大きな石碑があります。
明治生まれの人は、「三山天に連なりて 刀水岩に激しゆく 秀麓に地に生ひたちし 坂東武士の血を承けて 立つや上州健男子 額の箭傷(やきず)誇たなん」と、高揚した気分になると口ずさむ姿を見かけました。
高崎に連隊があったことを知る人は少なくなりました。私は連隊の辰巳(南東)の方角にあたる町に住んでいますので、唱歌にある朝の起床「ラッパの声」は、耳に覚えています。また、衛戍地内に衛戍病院が、戦時中は陸軍病院、終戦後は国立高崎病院、そして現在の高崎医療センターと名称が移り変わる姿に、高崎の一面を表していると感じます。
さらに兵役義務が課せられていた時代、県内出身の二十歳の青年たちが入隊する姿を、今でも脳裏に浮かんできます。
現代の不安定で先が定まらない時代、この城址がいつまでも現在のように、市民の憩いの場としてあることを、願わずにはいられません。
(2018年5月稿)