高崎唱歌

散歩風景⑨

吉永哲郎

唱歌の10番は「明治三十七年 日露戦役記念園 其外高崎裁判所 学校市役所ある処」です。
歌詞にある記念園は三角公園といわれ、現スズランデパート前のライオンズクラブが植樹した大きな樟(くす)の木がある広場です。デパートは裁判所跡、三角公園付近には明治41年高崎商業学校が開校(その跡地に高崎第一幼稚園が建った)、市役所(昭和22年2月22日消失)はスカイビルのところです。
今日の散歩は唱歌9番の散歩道に続いて、乾櫓や城の東門が移築されている城址公園から、堀沿いに北へ歩きます。堀之内は「もてなし広場」です。桜橋を渡ると東京電力の社屋があります。この敷地や元宮元町にあった石上寺跡で、ここに第一番高崎小学校(市立中央小学校の前身)が明治10年に県内初の新築校舎が建てられました。「高崎学校」と藩主大河内輝声が書いた額が、現中部小学校に掲げられています。
今の教育では宿題を忘れたり、問題が解けなかったりしても、「グランド一周してこい」などと叱責されませんが、当時は先生に言われると、先の三角公園まで走ってきたと、古老が話してくれました。
また、宇佐美笠雨「高崎市案内」(明治33年発行)の「宮元町」の項を見ますと、明治当初の宮元町の大半は、諸官営衛(裁判所、監獄支署)・学校(高等小学校、尋常小学校、発育学校)・病院などの諸建築物、弁護士、官吏等の居宅があり、いわゆる高崎の官庁街の様相を示していたところです。
その面影はなくとも、往来した人々のドラマを感じます。

(2018年4月稿)

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