髙崎唱歌

散歩風景37

吉永哲郎

 今回は36番「其他(そのほか)劇場高盛座 裏手に出づれば砂賀町 であい橋をばうち渡り 通り町には安国寺」です。

 幕末に起きた「あら町」の「御伝馬事件」は、幕末情勢の激変により、高崎藩領内の興行物は許可になり落着しました。その初めに江戸大相撲の興行が開かれ、明治になって江戸歌舞伎役者を招き芝居興行があり、次第に舞台劇場「坂東座」「岩井座」などが、シンフォニーロードと田町通りの交叉点(現諏訪神社・あら町山車倉庫前)に建てられました。

 高崎停車場が設置されると、現ラジタカ本社一角に「高盛座」が建てられました。「高盛座」は近代高崎の映画演劇史の原点としての意味を持っています。歌舞伎を始め、新国劇(「名月赤城山」主演の大衆演劇の人気役者沢田正二郎出演)、流行語になった「あのねおっさん わしゃかなわんよ」のセリフ、高瀬実出演の映画、特に高瀬の「血染の軍旗」の連続映画は高崎公園地内でのロケが行われたので人気を集めました。

 「砂賀町」は、あら町の東小路(現レンガ通り)です。この通りから通町との境の丁字路(ここに架かっていたのが「であい橋」)を東へ、髙島屋へ通じるまっすぐな道は慶長年間の古い中山道の往還です。レンガ通りを北へ井上病院・通町の交叉点、慈光通りに「安国寺」がありました。寺は都市計画により、ビルにおさめられています。明治初年、安国寺には一時県庁が置かれ、前橋と県庁設置騒動事件の発端となった寺。慈光通りは、市内で一番変貌した通りです。

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