髙崎唱歌
散歩風景36
吉永哲郎
今回は前回に触れられなかった駅前風景に関して記します。
駅が設立された当初は、まわりは水田風景で、大雨が降りますと駅前に大きな水たまりができたといわれます。掘建て小屋のような駅舎が、鉄道の駅舎の風格をもった本格的な建物になったのは、1917年(大正6)で、この駅舎は現駅舎建設(1980年・昭和55)によって姿を消すまで、高崎の近代史を見てきました。
現駅前タクシー乗り場あたりから、渋川伊香保への鉄道馬車(1893年・明治26)が1908年(明治41)には電車(「チンチン電車」の愛称で親しまれ徳富蘆花の小説「ほとぎす」・林芙美子の「浮雲」に描かれている)が、1955年(昭和30)に廃線になるまで、市内を通っていました。
駅舎の内部は高い丸天井で広い空間でした。上野駅改札空間の小型化した感じで、ヨーロッパの地方都市の駅舎を思わせました。正面左に切符売り窓口、正面に改札口、正面右の空間は乗降客待合の場、駅舎右の外に荷物受付と降りる人専用の改札口がありました。この改札口を出ると広い場所で、現50代以上の人は修学旅行で整列待機したことを思い出されましょう。正面駅前広場は、その時代を象徴する風景が見られました。
連隊があった高崎駅は軍都の表玄関として、出征兵士を送り、無言の兵士を出迎えました。その家族にとってはさまざまな思いが詰まった広場だと思います。前回でも紹介しましたが、映画「ここに泉あり」を、是非、ご覧になっていただきたいと思います。今の高崎の原点です。