髙崎唱歌
散歩風景30
吉永哲郎
高崎唱歌の30番は、「行けば四つ辻連雀町 ここも商業繁華の地 郵便局や新聞社 警察本部に郡役所」です。
連雀町は高崎の中央に位置する町で、連雀町交差点の現・酒舗白虎さん前に日本橋への小さな道路元標石碑が往時を偲ばせます。1900(明治33)年発行の宇佐美笠雨著「高崎市案内」には、「郵便電信局、警察署、郡役所等の諸官庁此処にありて、街路の両側には桔梗屋洋物店、藤本洋服裁縫店、金古屋茶平野屋酒類凍氷売捌所、(中略)大和屋時計舗、風月堂パン製造所等の豪商軒を連ね」とあり、また「芸妓屋梅岡田は横町にありて近来美形数名を抱え、朝夕に弾く糸の音色で、店の景気を添え居るなど、なかなかに盛んなり」と記されています。
1945年8月終戦の前日、米軍の空襲により、連雀町の大半は焼け、一時焼け野原でした。余燼残る風景を疎開先から帰途の車中から見たことを忘れることはありません。現在の町のたたずまいから、往時の街並みを思い出される人は年々少なくなりました。
歌詞にある官公庁は、現在の日英堂ビルや元樋口器店の裏にあった藤五デパート(現在のマンションや駐車場)の広い敷地です。往時を偲ぶ建物や横町はほとんど見られませんが、自転車が交通手段で最重要だった頃を偲ばせる、神戸自転車店をはじめ、連雀町アーケードの商店街に、賑わった時代の面影が色濃く残っています。
今回の唱歌散歩は、昭和生まれの青春の町高崎散歩の意味を持っています。ペンを走らせていると、ふと路面電車の音がしてくるような・・・。