髙崎唱歌
散歩風景 22
吉永哲郎
唱歌の㉓番は、「北一面を見渡せば遥かに聳ゆる 榛名山 山と高きをたたくらぶる
高崎中学校茲にあり」(注:「たたくらぶる」意味不詳)です。この辺りは住宅が建ち、唱歌のように周りの山々を、見渡すことは出来なくなりました。当時は市街地の家並がなくなると、県西北の山並みが眺められました。榛名山の雄姿に様々な想いを重ね、人々は生きてきました。
高崎中学校は1897年(明治30)赤坂町の長松寺を仮校舎として発足、翌年上和田の田圃に移転しました。その位置は現市立第一中学校の敷地です。明治になって中等教育に政府は重きを置き、烏川学校とか利根川学校などが設置されましたが、財政困難のため廃校になりました。その後県下唯一の群馬県中学校(前髙の前身)が誕生します。高崎中学校はその分校でした。
さて、上和田校舎は1938年(昭和13)に現在の乗附校舎に移るまで用いられていました。この上和田時代に、歌人土屋文明、テニスの清水善三、詩人大手拓次、井伏鱒二の「本日休診」の主人公医師のモデル南雲今朝雄、直木賞作家橘外男らが巣立ったのです。榛名山麓の向学心旺盛の少年たちの姿が、桑畑の影から朝夕、目に留まったと、往時を知る人が話してくれました。
先日、市立北小学校前から相生町の信号を渡り、第一中学校まで歩きました。この道筋は今も通学路ですが、80余年前は太平洋戦争をひかえ、どう生きていくのか、現実と向き合い語りながら歩く若者の姿が、狭い道を歩いていくうちに、目に浮かんできました。
(2019年2月稿)