石碑之路 散歩風景5
吉永哲郎
山上碑古墳のすぐ後ろに大きな石碑(高さ135cm、横140cm)があります。その面に掛軸のように「アスカカワセクトシリセバアマタヨモヰネテコマシヲセクトシリセバ」と、カタカナで刻された歌碑があります。元歌(万葉仮名)を訓読しますと「明日香川塞(せ)くと知りせばあまた夜も率(ゐ)寝て来(こ)ましを塞くと知りせば」と詠みます。揮毫者の山本聿水(いっすい)は富山県出身、大沢雅休の弟子。版画家・棟方志功と親交のあった前衛書道家。
歌意は「二人の仲が引き裂かれる定めだと、それがわかっていたなら、幾夜も幾夜も共寝をしたものを、ああ!」。
この歌は万葉集巻14の3478番の東歌です。「あすかかわ」は、奈良の明日香村、静岡の掛川市、栃木県安蘇郡の各地に、今は野川のように細い川となって流れていますが、川を挟んでの恋物語は多く聞かれます。
例えば「上毛野佐野の船橋取り放し親はさくれど吾はさかるがへ」などは、川を挟んでの恋物語のひとつ。現代にあっても、川が行政区の境界となっているように、上代にあっては川の対岸は、我が地とは異なる文化圏であるという意味があります。
異文化との接触は恋の障害の象徴でした。それを越えて愛する人に会いたい、万葉集にはこうした状況の恋物語が多くあります。歌碑の前に立ち、万葉人のロマンを描きながら、この歌を朗読しながら、次の歌碑へ歩きましょう。
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