石碑之路 散歩風景4
吉永哲郎
山上碑の右隣にある「山上古墳」前に、万葉仮名で書かれた大沢雅休の「日の暮れに碓氷の山を越ゆる日は夫(せ)なのが袖もさやに振らしつ」の歌碑があります。
大沢雅休は日本書道界の前衛派の草分けで、昭和時代の書道家。高崎市柴崎町出身。版画家・棟方志功と深い親交がありました。歌碑の元の書は県立高崎女子高校に所蔵されています。
さて、古墳の石室の奥から何やら人の声がしてきます。墓に眠る一人の女性が、歌碑の歌について語っているようです。もしかして、この歌の作者ではないかと。
「日の暮に」(歌碑の歌)と「ひなくもり」(ひなくもり碓氷の坂を越えしだに妹が恋しく忘らえぬかも)と二つの語が万葉集に詠まれ、ともに「碓氷」にかかる枕詞とされています。
碓氷の山は、日本書紀の景行天皇の条に「碓日坂」とあります。「碓日嶺に登り」ヤマトタケルがオトタチバナヒメを偲ばれ、「吾嬬はや」と叫ばれました。「碓日坂」は、愛する人を偲び、同時に別れる峠でした。
また「ひなくもり」は「薄日」語と関連して「碓氷」にかかる枕詞とされていますが、土地の人は「この峠は気流が変わりやすいことから、霧が発生しやすく、いま陽が照っていても、すぐ霧に覆われてしまうことから、霧深いの意味だ」といっています。なるほど「霧積山・霧積川」など霧に関する地名がありますね。
さて次回は万葉時代の峠の位置についてです。
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