古典花木散歩

9 ・朝顔 (その二)

吉永哲郎

今の朝は、万葉時代は「桔梗」(ききょう)をさしていました。朝顔は平安時代の『和名抄』に「華牛子」(けにごし)をあてています。平安時代の「古今集」、「拾道集』には「奉牛子」の実を薬用として下剤に用いるとあり、今昔物語には抗議で押し寄せた群集に、「華牛子」を混ぜた酒を提供し、下剤をおこさせ退散させた話が載っています。やがて下剤の牽牛子の実が鑑賞用の花となっていきます。清少納言の『枕草子』、紫式部の『源氏物語』に記載されています。源氏物語の「朝顔」の巻に「朝顔のこれかれに這ひまつはれて、あるかなきかに咲きて」と描かれた朝顔は、今の桔梗のことをさしていますが、「宿木」の巻の「朝顔のはかなげにまじりたる」とか、煮君が「けさのまの色にやめでんおく露の消えぬにかる花と見る見る、はかな」とんだ歌などから、この朝顔(牽牛子)は「はかなさ」を表現する花と感じ取っていることがわかります。
また、朝顔は、顔の象徴を意味表現が「大和物語』にあります。89段に、「垣ほなる君の朝顔見てしがな帰りて後は物や思ふと」と、早朝別れた男の顔をいつまでも見ていたいと、朝に帰宅した男の顔をさした表現です。
また、起きたばかりの、まだ化粧していない顔をさす表現も平安時代の歌集・日記・物語などにあり、現代の花鑑賞としての「朝顔」でなく、さまざまな意味を感じとった日本人独特の感性を感じます。
さて、朝のゴミ出しの朝顔、あなたは気にしたことありませんか。

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