古典花木散歩

7・麦秋その2

吉永哲郎

万葉集には麦を詠んだ歌は巻12,14に載る2首しかありません。巻12の歌は「馬柵(うませ)越しに麦はむ駒の罵(の)らゆれどなほし恋しく思ひかねつも」と近畿圏の人が詠んだ歌、巻41の歌は「くへ越しに麦食む子馬のはつはつに相見し児らしあやにかなしも」と東国の人が詠んだ東歌。東歌には「馬瀬越しに麦食む駒のはつはつに新肌(にひはだ)触れし児ろしかなしも」という歌が添えられ、近畿圏の人の歌には東歌の詠み振りの影響があると、いわれています。万葉人は麦は、恋の歌に比喩的に用いていることがわかります。特に東歌の「はつはつに新肌触れし児」(ちょっとだけ新肌に触れたあの娘)の表現に、たとえ一夜であっても、熱烈に愛し合った思いを吐露した、情熱的な若者の思いが伝わってきます。
こうした熱情あふれる歌の背景には、季節ごとに開かれる男女出会いの場、歌垣が思われます。歌は市など人々が集まる時や場で開かれます。特に物が集積し交易が盛んな交通の要地、神に祈り祓いの聖地などです。
特に河川の合流地の河川敷などで開かれます。私は麦秋の季節によく訪れのが岡の七興山古墳です。この付近は鏑川・鮎川・鳥川の合流地、広い河川敷風景が眺められ、麦秋風景の中に万葉人の姿を見る思いがします。巻14の東歌には佐野山や多野の入野の歌が載っていますが、その歌の背景にはこの広い河川敷に行われた歌の様子が思われます。「麦秋は恋の季節」とは、万葉人の詩魂です。

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