古典花木散歩
2・セリ
吉永哲郎
高崎公園の西北に国道を跨ぐ橋があります。川沿いの欄干からの光景は、四季を通じて心休まります。特に春になりますと、広がる景色の中に人の動きが多くなります。このことを「風景が動く」と表現します。春先の穏やかな日には、以前ですと「田園風景が動く」のを見かけました。春の香りを摘む人の姿です。春先の「たんぼ」の畔には、冬の寒さに耐えた野セリやヨモギが芽を出します。店頭に並ぶ整ったセリとは違い、この時期の野セリは香りが強く、美味です。摘んできたセリの根を洗うことに少々手がかかりますが、丁寧に根を洗う姿に、春を迎える人々の優しい心根を感じます。
万葉集のセリの歌を紹介しましょう。男女の贈答歌です。
あかねさす昼は田賜(た)びて ぬばたまの夜の暇(いとま)に摘めるセリこれ
奈良時代末に活躍した橘諸兄(もろえ)が、班田の仕事をしていた時の歌です。この歌の「田」は、班田の仕事のことで、田の帳簿の整理、測量などをし、農民に田を支給する仕事です。「賜ふ」は、天皇に代わって人々に田を支給することの意味です。現代ならば年度末の確定申告のようなことでしょうか。その任にある人にとっては一番忙しい時。ですが若い諸兄はその合間をぬうようにして、愛しい人に逢いにいきます。その手土産に、暗い野原で摘んだセリをもってきたのです。「摘めるセリこれ」のことばに男のやさしさが。
ますらをと思へるものを太刀佩(は)きてかにはの田居にセリぞ摘みける
と、女はすぐに男に返礼の歌を詠みます。さてこの場の雰囲気のことは次回で。年々、セリが摘めるたんぼが少なくなりました。