古典花木散歩

1・福寿草

吉永哲郎

 福寿草はめでたい名にちなんで正月に飾られ、年末になりますと縁起物として鉢植えの置物が目立ちます。福寿草の名は江戸時代初期から用いられたようです。早春の花ですので、元日草・雪割草ともいわれています。厳しい寒さの北国の人たちの春を待つ思いは、フクジュソウを青森、岩手ではマンサグといい「先ず咲く」の意味をあらわし、アイヌの人々はチライキナ・チライアパッポといいます。「チライ」は魚のイトウ、キナは草、アパッポは花の意味です。雪どけの季節になると渓流にイトウが姿を見せ、その頃咲く花がチライアパッポです。これは金田一京助先生の授業で教えられました。
 とりとめのないことを書きましたが、本年から万葉集だけでなく広く日本の古典に描かれた花木散歩のエッセイを書きたいと思います。きっかけは、NHK大河「光る君へ」です。ドラマとはいえ、場面に多くの花木を目にしたからです。急に平安時代になって花木の種類が増えたのではなく、その時代に生きた人たちの感性で捉えた花木が、万葉人と違ってきたからだと、私は思いました。
 平安人の感性が鋭敏になったのは、仮名文字の発展と深く関わると考えられます。特に自分の想いを相手に伝える手段としての手紙が重要になりました。手紙に書かれた歌だけでなく、その手紙の用紙、墨の色、筆跡、そして手紙を相手に届ける時に用いる花木を通して、自分の気持ちを相手に伝えました。手紙のやり取りの必要から、常に季節に応じた草木花が身近に必要でした。庭の草木花は相手に想いを告げる重要な手紙の一部として、用意されました。花木散歩はどこでもいいのですが、わたしは観音山の染料植物園が、花木の季節の移ろいを知る、一番の散歩道と感じています。

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