30.高崎新風土記「私の心の風景」
紙芝居の拍子木
吉永哲郎
半世紀前のことですが、毎日一定の時刻になりますと、紙芝居の拍子木・銅鑼・太鼓などの音が、町内に響きました。町を散歩していますと、この懐かしい音が聞こえてくるような横町を見出すことがよくあります。
紙芝居作家の加太こうじは、紙芝居の脚本を書くにあたって最も影響を受け、師と仰ぐ人の一人に、田村栄太郎をあげています。
田村栄太郎は高崎商業学校、明治薬学校(現明治薬科大学)で学び、若い時から農民運動に参加し、はりつけ茂左衛門を紹介した『沼田領農民運動史資料』を発表してから、一般に知られる人になりました。藤森成吉の『磔(はりつけ)茂左衛門』はこの資料によって書かれた作品です。
市内嘉多町の通称鍋横といわれた所で生まれた栄太郎の家は、色町柳川町入り口近くの二階建ての大きな店で、草履作りと人力車屋を業としていました。常に車が十二、三台、大勢の車夫がいて、花柳界に遊ぶ旦那や芸者を乗せるので、繁盛していました。家業の性質からアウトローの庶民と接触する機会が多かったことが、彼の歴史観形成に影響があったと考えられます。
さて、紙芝居の主人公たちは、庶民性・弱者の味方として描かれています。そこには権力者の欺瞞や官僚制を徹底して批判する姿を感じさせます。ここに田村栄太郎の歴史観がうかがわれると、私は思います。
「ちょっとそこのひと。高崎の色町は、温ったけえ民衆史家『田村の栄ちゃん』誕生の地だ。覚えておけよな。」
- [次回:電車みち]