57.高崎新風土記「私の心の風景」

土蔵のある風景

吉永哲郎

 高崎は商都ですので、街中や中山道筋の倉賀野には白壁の蔵がいくつも残っていますが、冬になりますと、農家の土壁の土蔵のぬくもりを求めたくなります。これにはわけがあります。
 昭和四十三年十二月十二日、川端康成はスエーデン・アカデミーで「美しい日本の私」という題のノーベル賞受賞記念講演をしました。これは文庫本になっていますのでお読みになった方もおられるかと思います。その中で京都栂尾(とがのお)高山寺華厳(けごん)宗僧明恵(みょうえ)上人の和歌「雲を出でて我にともなふ冬の月風や身にしむ雪や冷たき」をひいて、日本の風景と心を述べています。山寺で思索にふけっていると、月が雲に出たり入ったりし、草堂の行き帰りの足下を明るくしてくれる。月よ、風は身にしみないか、雪が冷たくないか、と声をかけている歌です。
 この自然や人間に対して、あたたかく思いやる心の原点は、川端が少年期を過ごした、大阪府三島郡豊川村の祖父母の家の土蔵のぬくもりではないかと私は考えています。それは、幼くして両親を亡くした川端は、母のぬくもりを冬の日にあたためられた土蔵のぬくもりにもとめていたと、大阪万博会場建設期に、造成工事現場近くにあるこの川端ゆかりの家を訪れたとき、案内の人から聞きました。日射しのぬくもりが残る土蔵の壁に、ほほを寄せた川端康成の姿を思わずにはいられません。
 時に、あなたは、母のぬくもりを何に求めますか。私は、木枯らしが吹きますと、土蔵のある風景をさがします。

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