77.高崎新風土記「私の心の風景」
夏の榛名湖畔の木陰で
吉永哲郎
夏休みといえば、宿題が沢山だされたことを思い出します。小学校の時には「夏休み帳」をはじめ、日記や自由研究が主でしたが、なかでも「緑陰読書! 本を読みなさいよ」という先生の言葉は、読書習慣のないものにとって、一番重い宿題に感じました。
初めての高校の夏休み、「長期の休みには、トルストイの『戦争と平和』やマンの『魔の山』など、長編の外国小説を読めよ」と国語の先生に言われ、私はその年(昭和27年)の5月に刊行された岩波文庫、スタンダールの『パルムの僧院』(上・下)二冊を読んだことを思い出します。
それは私にとってのフランス文学との出会いでした。19世紀前半のイタリアのパルム公国を設定し、ナポレオンを崇拝しワーテルローの戦いに参戦した主人公ファプリス、彼を愛するクレリア、彼女の叔母ジーナたちのかなわぬ恋の物語ですが、特にファプリスがクレリアと出会うコモ湖畔の場面に、美しく純粋な人間の愛の姿を感じました。
スタンダールはコモ湖を「すべてが気高くやさしい、すべてが愛を語っている。文明の醜さを思い出させるものはない」と描いています。そのコモ湖へすぐにでも行きたいと思いましたが、それはかなわぬ夢。せめてその空間を身に感じたいと、涼しい風が吹き渡る榛名湖へ行きました。
湖畔の木陰で先の文章を声に出して読み、清楚なクレリアを思いました。それは私の青春の出発でした。今も時折、榛名湖へ行き、烏帽子岳の麓、フランス国旗のはためくホテルの白いテラスに佇みます。霧の流れに絶えず変わる湖水風景に、夢かなって訪れたコモ湖を重ねて、しばし時を過ごします。
(高崎商工会議所『商工たかさき』2010年8月号)