84.高崎新風土記「私の心の風景」
古着横町にたたずんで
吉永哲郎
今の人たちが口にしなくなった通称「‥横町」といった町並みが、旧市内にはありました。特に江戸時代から中紺屋町に東西の道をはさんだ町並みは「古着横町」といって親しまれ、人の往来が多く賑やかな通りでした。戦後の昭和30年代まで約20軒ほどの古着屋があり、その賑わいを伝えていました。昔は、新しい着物を求めても、高価でなかなか庶民が手にすることはできませんでした。着物はすり切れるまで身につけ、そして必要になると古着を求めることが当たり前でした。浅草の観音様付近、特に伝法院通りには古着屋さんが軒を連ね、戦後のもののない時代は、大変な人出でした。
全国いたるところ人の集まる町には古着を並べる露店があったものです。また、1930年代頃から、セコンドハンドを略した「セコハン」(中古品)という言葉が流行しましたが、この横文字のイメージを重ねた古着は、昭和20年代の横浜伊勢佐木町の古着を、一時期いうことがありました。米軍将校の古着を並べる店が多くあったので、アメリカの装いをもとめるダンディな男たちの姿が目立っていました。
現代ではリサイクル、青空市場などに、その面影を思います。さて、戦後の高崎の古着横町は、古着だけでなく既製洋服・呉服・蒲団蚊帳・繊維問屋などの店もあり、多くの行商人が集まりました。その一人に『雁の寺』で直木賞を受賞した水上勉の姿がありました。高崎で「戦後、私は純毛と称してスフの布地を売り歩く行商をしていた」と語ったことがあります。古着横町にたたずみますと、商都高崎に生きたさまざまな人の、人生劇場の舞台を感じます。