96.高崎新風土記「私の心の風景」
坂の町赤坂
吉永哲郎
NHKの「ブラタモリ」という番組をみていますと、東京は「坂の町」であることを再認識させられますが、同時に高崎も坂の町であることを思い出させてくれます。高崎は古く上野国群馬郡赤坂荘と伝えられ、烏川左岸の火山灰地の台地が、長年にわたって烏川に削られ、坂が出来たといわれます。
その面影のひとつが市立中央小学校の東側に見られる台地にうかがえます。とりわけ、お堀に通じる坂は「赤坂」の地名の原点ともいわれるところで、このあたりに赤坂窪や赤坂山・坊主山・榎の森といわれた地名や丘があり、また城の赤坂門があったことによっても思われます。
お堀の堤を歩きますと、見上げるような榎の大木を見かけますが、往時の名残を感じます。「アカサカ」の「アカ」は、「アカシ(明かし)・アク(明く)」と同じ系統の語で、色彩の赤だけでなく、月・日などの光がはっきり見えて明るい状況をも意味します。ですから「赤坂」は「日の当たる坂」の意味を含んでいます。
さて、漢詩人で狂歌作家の大田蜀山人が京都から江戸への旅を『壬戊日記』として著していますが、その文中に「赤坂町に書肆あり。(中略)中山道にてはじめて書肆をみる」とあります。
京知から書店のある町にたどりついた旅の安堵感が、行間から伝わる記事です。本町一丁日の角(以前大津屋という薬屋があり、その壁に「左中山道 右三国道」の道しるべがあった)から17号線への道を下って2軒目に、近年まで「赤坂堂」という古本屋があり、蜀山人を思いつつよく足を運びました。あるじはクラシックファンでした。さあ、よい季節。「坂の町赤坂」の散策はいかがですか。
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