112.高崎新風土記「私の心の風景」
泳ぎを覚えた頃のこと
吉永哲郎
泳ぐ楽しみを知ったのは、烏川でした。今は各学校にプールがあり、水泳を基本から学び、海の家への郊外学習もあって、泳ぐ楽しみを知っていきます。夏休みの海水浴は当たり前のような夏のレジャーですが、日本人はこの楽しみを知るには、いろいろなことがあったと思い出されます。
先に書きましたように、泳ぐことを覚えたのは、近所のガキ大将からでした。それは一種のイニシエーションに似た、子どもたちの仲間として、泳げることが一人前として扱ってくれる資格でした。最初は水着などなく「おふり」で、「いぬかき」泳法で10㍍ぐらい泳げるようになることが目標でした。川の水を何度も飲みむせながら、仲間入りをしたいと、懸命でした。
目標達成すると先の大将から赤の「6尺ふんどし」の掛け方を教わり、「おふり」姿から逞しい少年になりました。小さな地域社会で、子どもたちの世界に伝わっていたコミュニケーションづくりが、自然となされていた頃のことです。
長じてもなおその仲間との絆は続きました。逞しい少年の原点烏川水泳場跡を探しに、聖石橋上流の烏川左岸を歩きました。しばらく川岸に立っていますと、幻聴でしょうか、子どもたちの水に戯れる歓声が聞こえてきました。和田橋下の右岸に、川を楽しむ家族連れの姿を見かけます。川に親しむ夏の文化を、盛んにしたいと、元ガキは思うのでした。
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