銀幕から生まれた昭和の映画女優12

たおやかな日本女性のシンボル 天下の映画女優 -吉永 小百合-

志尾 睦子

 「銀幕から生まれた昭和の映画女優」シリーズ、トリを飾るのは勿論この方・吉永小百合である。1945年生まれの吉永小百合さんは、齢70を超え、なお輝きに満ちている。これまでご紹介してきた女優たちに比べると年齢的には少し若い世代。だが、往年の大女優を前にしても、吉永小百合を映画女優と呼ぶときの神格化は群を抜いている。いつも晴れやかでたおやかな御姿は何十年と変わらない気がする。
 吉永さんの芸能界デビューは小学生にさかのぼる。公募されたラジオドラマの『赤胴鈴之助』で出演が決まり、その後は同作のテレビドラマでお茶の間に登場、小学6年生だったそうだ。中学生になり映画初出演を果たしたのは松竹映画の『朝を呼ぶ口笛』(1959年/生駒千里監督)。高校へ進学すると同時に日活撮影所に入社する。『ガラスの中の少女』(1960年/若杉光夫監督)で初主演を務めるが、純粋でうら若い少女の魅力に、たちまちファンが付き、一気に日活看板女優の階段を駆け上がった。共演の浜田光夫とはゴールデンコンビとなり、二人の活躍はそれまでの熱血漢路線の日活映画に純愛青春映画の活路を見出した。
 この時代の名作は数あれど、中でも私が最も印象に残るのが『キューポラのある街』(1962年/浦山桐郎監督)での鋳物職人の家庭に育った中学生のジュン役だ。父が工場を解雇されてしまい、家計は一層苦しくなる。なんとか気丈に希望を持って生きようとするけれど厳しい現実を少女は目の当たりしていく。多感な15歳の少女がそんな中で初潮を迎えるシーンがある。内面と肉体の成長に困惑しながら一皮むけて行くジュンの表情に、同じ同性ながらなぜだかドキドキしてしまったのを覚えている。美しい容姿には常に温かさがあり、ふくよかな肉体が庶民的な身近さを感じさせる。描き出された時代は違うのに、そこには妙な実感のある同世代的感覚があった。女性の美しさの概念を、吉永小百合の中に見た気がした。
 吉永小百合の出演作は膨大であり、代表作も数多あるだろうが、個人的に印象深い作品をもう一作選ぶなら1988年の『つる』(市川崑監督作品)を挙げたい。こちらは日本の民話、つるの恩返しをベースにした映画化作品であり、吉永小百合映画出演100本目を記念する作品だった。雪原にすくっと立つ白い着物を纏った主人公つる。どこか物憂げな時、無邪気にコロコロと笑う時、どんな時でも一瞬にして周囲を飲み込んでしまう、これこそ映画女優の風格だと思ったものだ。
 銀幕には幾つもの魔法があろうが、そこに耐えうる人材も一握りしかない。現代の女優たちが偉大な銀幕女優に追いつける日はあるのだろうか。

志尾 睦子(しお むつこ)
群馬県立女子大学在学中にボランティアスタッフとして高崎映画祭の活動に参加。群馬県内初のミニシアター「シネマテークたかさき」の総支配人を務めると同時に、日本を代表する映画祭である高崎映画祭総合プロデューサーとして活躍。

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