銀幕から生まれた昭和の映画女優4
数々の名監督と時代を創った女優 -香川 京子-
志尾 睦子
この方にかかっては、せわしないどんな感情も穏やかに馴らされてしまうような錯覚に陥る。細身の体で繊細な印象があるのに、まとう雰囲気が包容力に満ち、その存在が豊かで大きな感じがする。
2年前の秋、全国コミュニティシネマ会議のゲストに香川京子さんをお迎えした際、登壇された香川さんのお人なりに触れ、そう感じた。
映画・映像の鑑賞方法が多種多様となった今こそ、あらためてスクリーンで映画を見ることを考えようというのがその年の会議テーマだった。映画の作り手からその事について語ってもらいたい、となって、監督、キャメラマン、俳優、プロデューサー、次々とお名前が挙がった。その時、どなたかが言った「香川京子」の名に、その場にいた一同が「あ」という言葉とともに大きく頷いたのが印象に残っている。
この「あ」はそうだこの人がいた! という閃きだった。銀幕で輝く女優の中でも日本の名監督と言われる監督作品に軒並み出ている数少ないお一人だ。1949年、新東宝のニューフェースとして入社した香川京子さんは、各映画会社専属の監督、俳優の引き抜き、貸し出しはしないという五社協定(1953年締結)が出来る前にフリーになった。そのため、当時一線で活躍した名だたる監督たちと垣根を超えての仕事が出来ていた。溝口健二監督、小津安二郎監督、成瀬巳喜男監督、黒澤明監督、他枚挙に暇がない。その経験もさることながら、香川さんは当時の貴重な撮影時の写真や資料を、後世のためにと、フィルムセンターへ数回に渡って寄贈もされている。フィルムアーカイブの国際連盟(FIAF)からその功績を認められ、2011年には日本人初となるFIAF賞も受賞されていた。
代表作は、何と言っても映画史に燦然と輝く『近松物語』(1954年/溝口健二監督)。私も初めて見た時の感動は鮮明に思い出される。封建時代の道ならぬ恋、主人公おせんの一部始終が身につまされラストシーンは圧巻で言葉も出なかった。
最初役がつかめず苦労をされたそうだが、溝口監督はどこをどうするとは仰らず、何回もできるまで、ただひたすら繰り返しやらせたそう。「死ぬほど辛かった」現場で、「芝居の基本を教えていただいた」と語る大女優の語り口はとても柔らかく、すべての言葉に映画への想いと監督たちへの尊敬の念が込められていた。時代を生きてきた映画人には、控えめながら確かな誇りと責任があるように感じられた。人間の豊かさはこうして作られるんだなと、納得したのである。