続・源氏物語・今に遊ぶ
巻1桐壼
吉永哲郎
これまでの散歩は、古典に描かれた花木を訪ねてきましたが、今回から、おもむきをかえて、源氏物語の巻名ごとに、物語の行間から聞こえてくる平安時代の人々の声や、時に、物語に関しての私の独り言めいたことなどを記します。「続・今に遊ぶ・源氏物語」としたのは、20年近く前に朝日新聞県版に「源氏物語・今に遊ぶ」を連載しましたが、今回はその統編です。
民俗学者の柳田国男は「悌泣史談』の中で、日本人は近代になって泣くことをしなくなったので、おしゃべりになったと、記しています。20年前、地方の女子高校に勤務していた時、卒業式で涙する生徒の姿が年々少なくなってきたと感じていました。「泣くんじゃないよ。男だろ!」と、日本の近代化(富国強兵政策)の流で男の涙には価値があるとされていた時代に育った私は、女子はよく泣くものとイメージ化していましたが、その反面現代は男の子がよく涙を見せるようになっ たと感じます。唐突な話題を提供しましたが、人間にとって「泣く」「涙する」という感情吐露したことばを、男のしぐさとしてよく表現するのが紫式部です。それが「桐壺」の巻での「男の涙」です。紫式部は物語の初めの巻になぜ「男の涙」をえがいたのか。このあたりから「源氏物語」を読んでいきたいと思います。(以下次号)。