橋の風景から37
―十三号橋―
吉永哲郎
中山峠が開削されるまで、吉井町から高崎の街へ行くには、鏑川を渡船し、越沢から大明神峠(標識はありませんが旧市内と旧吉井との間にある旧道の中山峠)を越え、いくつもの沢や坂を渡り上り、淋しくつらい山越えをしたと、伝えられています。高崎の街を知らずに生涯を送った人も多かったというのも、想像できます。それだけに明治の近代化に伴い、旧吉井町や多胡村の人たちが、中山峠道開削を県に働きかけ、1890(明治23)年に開かれたのが、現主要地方道高崎・神流・秩父線です。近年道路整備がすすみ、以前の面影はなくなりました。十三号橋は道路拡張と沢に架かっていた橋の暗渠化にともなって、橋はなくなりましたが、それをしのぶことはできます。吉井町方面から多胡橋を渡り200メートルくらい歩きますと、越沢川の流れが目にはいります。そして土石採取のダンプの出入り口に至ります。道脇の空間が広がったところで、沢の流れに目をやりますと、一本の桑畑に通じる橋があります。十三号橋のなごりを感じさせます。十三号橋は暗渠となり、姿はありませんが、この一本橋の下流の道路にあたるあたりに、十三号橋が架けられていました。わずか、5.3メートルの短い橋でした。橋の名が番号とは、いかにも事務的な名称ですが、峠道に架かる橋を高崎側から13番目にあたることから、つけられたようです。他の橋はほとんど姿を消しました。