橋の風景から23
―川浦橋―
吉永哲郎
倉渕町川浦は、江戸時代大戸関と碓氷関との中間に位置する重要な地でした。現在は「はまゆう山荘」や「わらび平森林公園」を訪れる時、通過するところで、北軽井沢への近道(現長野原倉渕線)としても親しまれています。川浦へは権田の信号機を左に行きます。右に行きますと前回触れた長井橋を経て、草津への街道。さて左の路は川浦から月並、山中に入り駒髪峠(現二度上峠付近)を越えて六里ヶ原高原、横切って大笹、鳥居峠を目指す善光寺街道です。二度上峠から浅間山の眺望のすばらしさは、この欄で以前紹介しましたが、高崎から長野県境鳥居峠までの最短距離であり、明治初期までは関所のない間道近道であったので、かなりの人が利用していました。川浦の村記録には明治12年に旅籠が6軒あったとあり、また関所の検問を避けた者が通るのを防ぐために、検問を設け近隣の者が勤めていたと伝えられています。
倉渕川浦小学校の北側崖下に烏川が流れています。碓氷川と合流する和田橋下の川と違い、烏川本来の清流の姿があります。この清流に架かる橋が川浦橋。橋の上流側に歩道があり、夕陽が傾くころにここに立ちますと、西北に連なる山々からの西方浄土の光が、清流に輝き映しだされます。荘厳な風景につつまれるこの瞬間、高崎の水の源流鳥川が、永久に清流であることを、祈らずにはいられません。