ビジネスパーソンにお薦めするこの1本 75
あん
志尾 睦子
2015年 113分
監督:河瀬直美
出演:樹木希林/永瀬正敏/内田伽羅
心が宿るものは美味しい
蒸し暑さが気になる季節になってきました。そうすると私は梅干しの季節だなあと思います。スーパーや八百屋さんには綺麗に粒の揃った白加賀梅が出回ります。毎年この時期には母が丸々とした梅を買い求め、梅酒にしたり梅干しにしたりと丹念に手間暇かけて作ってくれます。
食べるだけの私は、気がついたらいい頃合いになっている梅を手に取るだけですが、いくつかの行程のたびに梅の様子を話して聞かせてくれる母の話も、この数年で季節の楽しみの一つになりました。「梅がうまく漬からない時は人生もうまく行かない。」いつだったかそんなことを言った年がありました。その時はその言葉の意味がよくわかりませんでしたが、今では分かります。自分の姿勢が、手間暇かけるものに宿るということで、仕事で荒んだ気分になると、それを思い出すようになりました。
さて今回はそんな視点を気づかせてくれる一作をご紹介します。梅ではなく、あんのお話。
一坪ほどの小さなどら焼き屋・どら春では、雇われ店長の千太郎が1個120円のどら焼きを黙々と作っています。常連の子どもたちに慕われながらも一定の距離を崩さない無愛想な男の日常は、淡々としていました。ある日、アルバイト募集の張り紙を見たという75歳のお婆さん・徳江がやってきます。ここで働きたいと懇願されますが流石に無理だと千太郎はどら焼きを一つ渡して追い返します。しかし徳江はまたやって来ました。“あん”がよくないと指摘し、長いこと自分で作って来たという粒あんを千太郎に渡します。その美味しさに驚いた千太郎は、徳江を店に迎え入れる事にしました。
業務用のこしあんを使っていた千太郎にとって、粒あんの仕込みは初めての経験でした。前日の夜から小豆を水に浸け、仕込みに4時間はかかる作業。千太郎はあまりの重労働と待つ仕事の大変さに戸惑いますが、徳江はいつでも楽しそうに小豆と会話をしながら丁寧に仕事をこなします。そんな徳江の姿に、いつしか千太郎の心も動かされていくのでした。粒あんのおかげで店も繁盛するのですが、やがてある噂がその平穏な日常を崩してしまうのです……。
徳江がなぜこの店にやって来たのか。彼女の人生はどんな道筋だったのか。そして生きるとはどういうことなのか。小豆に敬意を表し、丹念に手をかけて“あん”にさせて頂く徳江の姿勢と、自然の声に耳を傾け生きてきた徳江の言葉が、深く心に刺さります。大事なことを気づかせてくれる一作です。
- [次回:名付けようのない踊り]
- [前回:エクストリーム・ジョブ]