高崎のおもてなし 11
村上鬼城:心の休息、句碑を愉しむおもてなし
志尾 睦子
まだまだ寒い日々は続きますが、立春も過ぎ暦の上ではすっかり春。あちこちで春めいた装いを目にする様になりました。気温が低くても、天気のいい日は気分も清々しく足取りも心なしか軽やかになるから不思議です。
高崎の春を思う時、真っ先に浮かぶ桜の名所はどこでしょうか。私は高崎城趾のお堀端です。姉妹都市公園から高崎公園のあたりまで城趾を取り囲むお堀の桜。咲き誇る風景も、ライトアップの艶やかさも素敵ですが、実は花が咲く前からその風情の奥ゆかしさを伝えてくれる標がここにはあり、それが私の一番のお気に入りポイントです。
高松町のNTT東側、お堀にかかるさくらばしに建つ村上鬼城の句碑がそれです。「ゆさゆさと大枝ゆるる櫻かな」この句碑は、あまりにさりげなく設置されていますが、今時期はその文字からふと目をそらせば、これから咲かんとする枝がにょきっと目の中に飛び込んで来て、その存在感を示しなんとも小粋です。
俳人村上鬼城は、近代俳画の最高峰とも唄われる偉人であり高崎人。縁のあるお寺や個人宅に句碑が建立されていますが、それ以外にもさくらばしのようにいくつかの場所で鬼城の句碑を見る事が出来ます。重々しく建立されがちな石碑の類いとは違い、そうした場所の鬼城の句碑は、場に馴染み、さりげなく設置されている気がします。それは特にさやもーる街で見られました。昭和2年まで住んでいたという鞘町の旧宅を示す案内版とも言える石碑こそ、「俳聖村上鬼城先生旧居跡」と記され「けさ秋や見入る鏡に親の顔」とありますが、それもどこか主張しすぎない趣があります。そのすぐ横には「雹晴れて豁然とある山河かな」の句碑が低い位置で落ち着きます。さやもーる街なかほど、スズラン屋外駐車場と歩道の境には、車止めのような高さ30センチほどの石が六つあり、ここにも句が刻まれています。「傘にいつか月夜や時鳥」「念力のゆるめば死ぬる大暑かな」「冬蜂の死にどころなく歩きけり」「小春日や石を噛み居る赤蜻蛉」「元旦や赤城榛名の峰明かり」そして、さくらばしと同じ桜の句がもうひとつ。
人生の辛酸をなめて生み出される境涯の句も、郷土の風景を愛し豊かに表現した句も、一人の人間のささやかな日常から溢れ出た言葉。そんな俳人の心を、さりげなく町並みに散らばらせるセンスこそが、高崎人の小粋なおもてなしに思えました。