95.高崎新風土記「私の心の風景」
古代人の祈りの場
吉永哲郎
今日は少し抽象的な心の風景を描いてみます。「イノル」という語の「イ」は「イム(忌む)」「イハフ(斎ふ)」と同じ「イ」を含む語です。「ノル」は、大声で告げる意味で、口に出してはならないことを、口に出して神にお願いすることをいいます。
口に出してはならぬこととは、人間が内に秘めている願ごとのことをいい、病気平癒・五穀豊穣・子孫繁栄など、常に心にある事柄ですが、ある日突然に、これらのことを強く神に願う事態に、人間が陥るときがあります。
天災であれ人災であれ、その危機的状況からなんとか、すみやかに脱出したいと思います。こうした時、人は「イノル」しぐさを自然にするものです。それは特別な宗教による信仰心の現れとは違った、人間が生きてきた長い時間の中で、集積され身につけてきたしぐさです。いいかえればひとつの宗教に限定された祈りのしぐさではありません。
さてどこで祈りのしぐさを人間はしたのでしょうか。現代なら寺社・教会や墓地という空間を求めるでしょうが、こうした特定の空間をもっていない古代人のことを考えてみますと、どのような「カミ」に、そしてどこで「イノル」しぐさをしたのでしょうか。
一つの例として、清冽な川が流れ、川岸から突き出たように上が平らな岩石ではと、大和の天香具山の平坦部が祈りの場であることから、私は想像します。ある日、下佐野の一本松橋を歩きながら上流を眺めていた時でした。烏川の中に大きな岩が目に入りました。もしかして、古代人の祈りの場ではないかと、このあたりが万葉舟橋ゆかりの地であったことと重ねて、思いました。
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