99.高崎新風土記「私の心の風景」
白い雲を眺める
吉永哲郎
日本の公園には、広大な奈良の飛火野のような、芝生にごろっと横になり、空をぼんやりと眺められる広い空間をもったところがあまりありません。城趾の「もてなし広場」では、容易く横になれませんが、地方都市にしてはめずらしい街中の広場です。
遮るものがない広々とした大空を見上げると、ほんのわずかな時間でも、現実を離れることができます。現代は夜空が明るいので、以前のように星座を鑑賞するわけにはいきませんが、時にこの広場で一等星に近い星座を見上げながら、季節の移ろいを感じとることができます。
さて、観音山ファミリーパークをご存じでしょうか。日曜祭日は、終日家族連れの車で、駐車場に満車の表示が立つほどの賑わいです。普段の日は人の姿はまばらで静かですので、気分転換によく訪れます。そこにはごろっと横になれる広々とした芝生の広場があるからです。 奈良公園ほどにはゆきませんが、郊外にこれほど自然に囲まれた広い空間の存在を知りますと、感動します。
先日、その芝生に横になりぼんやりと白い雲を眺めていました。ふと「雲はゆく/雲はわたしのこころ/こころにうかんだ/こころの相<すがた>」という八木重吉の詩句が浮かんできました。雲を眺めることは、己との対話の時間、自己を取り戻すひとときを持てたと、深く感じました。