113.高崎新風土記「私の心の風景」
戦争が終わった日のこと
吉永哲郎
昭和20年8月15日は暑い日でした。その日疎開先の吾妻郡高山村小学校の火の口分校の校庭で、敗戦を告げるラジオ放送を聞きました。誰が放送し、何を話しているのか、はっきりと聞き取れませんでした。放送後の村の大人たちの会話から、天皇が敗戦を告げる放送だったことを知りました。
私はその時、戦争が終わったと思った瞬間、「家に帰れる」と、まわりの人に聞こえないよう、つぶやきました。疎開という特別な時間や空間から、解放される気持ちがあったのだと思います。現代の世界情勢を見てもわかりますように、いたるところで戦火が絶えずおきています。こうした状況下の子どもたちは、「家に帰れる」ということばを内に秘め、堪えているのだと思わずにはいられません。
さて、猛暑のせいか、今年は蝉の鳴き声をあまり耳にしませんでした。蝉の声を気にするのは、敗戦の日、山村の屋敷に繁る木々から、じりじりとあぶら蝉が沢山鳴いていたからです。それは平和を告げる鐘のように聞こえました。
ですから、真夏にあぶら蝉がしぐれるように鳴かないと、なんだか平和が遠のいているのかと、思ってしまうのです。なんとか聞きたいと、近くをさがし歩きました。
今年の敗戦の日は、参詣する人影の少ない、けやきの大木の茂る和田多中町の琴平神社境内に立ちました。あぶら蝉がしぐれて鳴いていたのです。
- [次回:野分の朝]
- [前回:泳ぎを覚えた頃のこと]