114.高崎新風土記「私の心の風景」
野分の朝
吉永哲郎
「野分<のわき・のわけ>」とは、野の草を分けて激しく吹く風のことで、特に、二百十日・二百二十日頃吹く風をいい、秋の暴風雨のことです。「野分」といえば、「野分だちて、にはかに膚寒き夕暮のほど」(源氏物語桐壷の巻)と、帝に命じられた靫負命婦<ゆげいのみょうぶ>が、亡くなった桐壷の更衣邸を弔問する場面の一文がよく知られ、さらに巻名「野分」を思い出される方もおられましょう。
野分の吹き荒れた翌朝、光源氏の子息夕霧がお見舞いにあがり、そこで初めて継母紫上の姿をうかがい、その美しさを「おもしろき樺桜の咲き乱れた」ようだと魅了されます。源氏物語では、野分は物語の転換の場面に表現される大事な事象として扱われています。
さて、先日の18号台風は、各地に被害をもたらしました。とりわけTVの映像では京都嵐山の渡月橋が映されていましたが、万葉集いらい歌枕として名高い「佐野の船橋」は、このたび烏川の増水で流失しました。橋桁は鉄骨でしたので残りましたが、橋の部分は木橋でしたので流されました。今年の高崎能の演目は『船橋』ですので、早速様子を見にいきました。増水の烏川右岸にワイヤーロープでつながれた木橋が浮いていました。
佐野の船橋をめぐる古代からの人々の姿を思い浮かべながら、「野分」ということばに詰まった、日本人のさまざまな生活を考えました。
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