古典花木散歩

3 続セリ

吉永哲郎

 前回、橘諸兄が恋人に手土産としてセリを贈った時の歌、「あかねさす昼は田賜びて ぬばたまの夜の暇に摘めるセリこれ」を紹介しました。今回は恋人の返答の歌を。
 ますらをと思へるものを 太刀佩(は)きて かにはの田居にセリぞ摘みける
「今来る途中で、あなたの好きなセリを摘んできたよ。これですよ」「私、あなたは立派なお役人と思いこんでおりましたのに。大切な太刀を腰につけたまま、蟹のようにかにはの田圃にはいつくばって、セリなどお摘みになるなんて」
 せっかく摘んできたのに、恋人は素直に喜んでくれません。
「セリを摘むなんて、かっこわるいわ」と、おたかい姿の女性を思い浮かべてしまいそうです。でも、忙しい仕事の合間をぬって、私のために摘んできたうれしさを、「うれしいわ」と素直に表現できない、女性のうぶな恋人への姿を、私は感じます。
 万葉時代の恋愛は男女思いのまま、自由に振舞えません。背景には身分による格差社会を考えなければなりません。身分の高い人には、それ相応の階層の人でなければ、恋愛関係は成立しません。身分を越えての恋愛は、場合によっては罪びとになりました。
さて、紹介した2首からは、身分違いの二人ではないと分かります。女性が身分違いの男性に否定的なことを直接言葉にすることはないからです。思っていることを表現しながら、その言葉の裏には逆に愛するがゆえの甘えの構造がうかがえるからです。恋愛感情の機微を受け止めて、万葉歌を鑑賞したいものです。
 さて、恋人のためにセリ摘みはいかがですか。

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