万葉花木散歩

9・からあゐ(鶏頭)

吉永哲郎

 猛暑が収まり、秋の草花が色濃く、強い香りをはなっています。久しぶりに郊外に散歩し、そこここに草花が咲いていて楽しめます。際立って紅色の花が目立ち、とりわけ鶏頭の花に目を奪われます。正岡子規が病床に臥せりながら「鶏頭の十四、五本もありぬべし」と詠んだ句を思い出します。窓からわずかに見える鶏頭の花を見て、咲き誇る鶏頭の花を思いやる子規の心を思います。
 万葉人は鶏頭を「からあゐ」といい、「韓藍・辛藍・鶏冠草」などと表記しました。韓の国から渡来した藍(染料になる草)の意味を表しています。「鶏頭」の表記は、鶏の鶏冠状の花から由来しているとわかります。西欧でも「おんどりのとさか」といいます。
 万葉人山部赤人は、「我がやどに韓藍蒔き生ほし枯れぬれど懲りずてまたも蒔かむとぞ思ふ」(我が庭に鶏頭を蒔いて育てたが枯れてしまった。でもそれを懲りずにまた種を蒔こうと思う)と、鶏頭を詠んでいます。
 韓藍は単に花をさすのではなく、女性を譬えています。この舶来の美しい花のような人との恋は、一度はおわったけれど、ふただび恋の炎を燃え立たせ、こちらになびくまで、挑んでみようという深い意味を含んでいる歌です。
 万葉人は恋の花として鶏頭を見ていますが、現代人のあなた、何に譬えますか。怪獣にたとえますか。さて…。

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