石碑之路散歩風景19

吉永哲郎

 前回の石川郎女の歌碑から50メートルほど坂道を下っていきますと、金井沢碑の入口の案内の大きな石碑の左に、自然石(タテ75センチ・ヨコ124センチ)の歌碑があります。本日鑑賞する歌碑です。

 持統天皇吉野離宮行幸に従った宮廷歌人柿本人麻呂が持統帝を讃えた長歌二首のうちの第二の長歌です。
歌碑の書は先の石川郎女と同じ大沢雅休です。自然石の右下部分の研磨した面(25センチ×64センチ)に万葉仮名の書が刻されていますがよくわかりません。解説版を読んで人麻呂の長歌であることが理解されます。
 万葉長歌は調子をとりながら声を出して読みますと、人麻呂の気持ちや吉野川風景を背景にした吉野離宮のたたずまいが浮かんできます。

八偶(やすみ)ししわご大君(おおきみ) かむながら神さびせすと 芳野川たきつ河内に 高殿を高知りまして 登りたる国見をすれば たたなはる青垣山 山神之奉(まつ)る御調(みつき)と 春べは花かざし持ち 秋立てば紅葉かざせり ゆきそふ川の神も 大御食(おおみけ)に仕へ奉ると 上つ瀨に鵜川をたち下(た)つ 瀬に小網さし渡す山川も よりてつかふる神の 御代かも

吉野離宮は壬申の乱の緊迫した時代、天武・持統帝にとっては、愛や新時代構想を語る、大切な宮殿でした。この碑から眼前の山道を少々のぼりますと、金井沢碑です。

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