石碑之路 散歩風景8
吉永哲郎
笹の葉擦れを耳にしながら100mほど歩きますと、黒沢春来書「紫之根横野之春野庭君乎懸管鶯鳴雲」の万葉仮名の歌碑があります。先の歌は「紫の根延ふ横野の春野には君を懸けつつ鶯鳴くも」と読みます。
歌は「紫草が根をのばす横野の原が春になると、あの人を心にかけるように、鶯が泣き続けることよ。(恋しくて、ついあなたのお名前を口にしてしまいました。涙がとまりません)」という意味です。
「横野」は大阪市生野区巽大地町の式内社横野神社の鎮座する一帯を指すといわれていますが、安中市の横野地区の人々は「横野」は上毛野であると主張しています。
横野の中野谷一帯の野原は現在広い葡萄畑が広がっていますが、万葉時代にはイチイ・ハハソ・クリなどの林、猪・狼・猿などが生息し、紫草が自生していた原野。紫草は万葉時代から紫根染が始まり、貴族の紫の衣服に用いられる重要な染料でした。紫草の根は紫色で太く地中で真っ直ぐに延び、根は解熱剤や切り傷・火傷に利用される漢方薬。紫草の自生地に注連縄を張って囲み、保養栽培をしていたようです。
上野国は平城京へ年に2300斤納めるほどの東国有数の紫草産出国でした。横野地区は東山道の道筋で、都からの往来が多く、この歌の作者は出張官人で、東国の旅の心情と都の恋人を思う心を重ねて詠んだ相聞歌ではと、万葉歌碑の歌の背景を思います。
紫草の原風景を思いつつ、鶯の美声をたよりに、石碑の路をゆっくりと。
- [次回:石碑之路 散歩風景9]
- [前回:石碑之路 散歩風景7]