正倉跡と浅間山古墳に追加指定
(2021年07月15日)
指定範囲を追加
国の文化審議会は、令和3年6月18日に開催された同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、高崎市に所在する遺跡「上野国多胡郡正倉跡」の指定範囲の追加、国指定史跡「浅間山古墳」の指定範囲の追加を含む史跡等の指定等について、文部科学大臣に答申した。
上野国多胡郡正倉跡では史跡の範囲を示す区画など、浅間山古墳では周堤や外堀の一部が追加指定となった。
高崎市の富岡賢治市長は「発掘調査の結果、遺跡の範囲が広がることがわかり、追加指定されることは大変に喜ばしい」とコメントしている。
上野国多胡郡正倉跡(高崎市吉井町池)=多胡碑の南約350mに立地。南北約210m、北辺(東西幅)125m以上、南辺170m以上、幅2~3mの区画溝で囲まれている。
和銅4年(711)に建郡された、上野国多胡郡の田租(でんそ)出挙(すいこ)で徴収した稲などを収納する倉庫群跡。多胡碑に記された多胡郡建郡の裏付けとなる遺跡で、律令国家の税の徴収や地方支配の在り方を考える上で重要であり、令和2年3月に国史跡に指定された。今回の追加指定は正倉院の西辺と南辺を区画す溝の一部及び正倉院の中央部。
既存の指定面積は2万8637㎡、追加指定面積は約3879㎡で、合計約3万2517㎡。
浅間山古墳(高崎市倉賀野町)=4世紀後半から5世紀初頭に築造された前方後円墳。墳長は171m、周囲には内濠、周堤、外濠が巡り、範囲は約330mに及ぶ。同時期の古墳としては東日本最大規模を誇る大型前方後円墳。
昭和2年に国指定史跡に指定、令和3年3月に前方部南側の周堤と外堀が追加指定、今回は前方部東側の周堤と外濠の一部を追加指定。
既存の指定面積は3万6731㎡、追加指定面積は約2616㎡で、合計約3万9348㎡。
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