髙崎唱歌
散歩風景40
吉永哲郎
弓町北には大雲寺、近くに法華寺、正法寺などがありますが、これらの寺は箕輪城高崎移転に伴い移ってきました。
さて「カネウチ」は浜川の来迎寺と関係があると前回で記しましたが、来迎寺は時宗の寺で、鎌倉新仏教の浄土宗の一つで、一遍上人が開祖です。上人は伊予(愛媛県)の豪族河野家に生まれ、出家して信濃善光寺参籠(さんろう=おこもり)の時、念仏一筋の道を見出しました。「捨家棄欲一所不在」の捨て聖となって念仏を勧める旅に出、生涯を念仏勧進に捧げた人です。
こうした日常の生活も死への旅立ちも同じであると、念仏を勧進して全国行脚することを「遊行(ゆぎょう)」といい、その僧を「遊行僧」「遊行聖」、仲間を「時衆」といいます。関東を中心に武士と民衆の間に信仰が広まった宗教です。特に念仏踊りによって念仏を広め、それが盆踊りの源流と言われています。高崎には浜川の来迎寺、山名の光台寺と二寺あります。
高経大附属高校の第2グラウンドを北へ浜川東の信号を渡ると、来迎寺へ行きます。以前、この細い野道が箕郷への道で、その道端にカネウチの墓がいくつもありました。道路整備され、その面影はありませんが、昔の弓町北の「カネウチ通り」は、念仏道場の来迎寺へ時衆の人達が往来した道であったと思われます。
近年、都市化が進み、現在なお発展変貌する高崎。先人たちの生活を偲ばせる遺跡や古老の話をまとめておきたいものです。