高崎商工会議所前会頭・ 原浩一郎さんの足跡
(2020年12月29日)
変化する高崎を牽引
原前会頭の10年
高崎市の発展のために生涯を通じて貢献された高崎商工会議所の前会頭・原浩一郎さんが令和2年8月18日に81歳で逝去された。
原さんは、昭和52年に高崎商工会議所議員に就任し、監事、常議員、副会頭をつとめ、平成19年に高崎商工会議所会頭に就任した。
会頭在職中の期間は、高崎玉村スマートICの開通(平成26年)、北陸新幹線の開業(平成27年)、高崎駅東口にヤマダ電機本社(平成20年)、西口に高崎オーパ(平成29年)が開店し大型商業施設が駅東西に進出、高崎アリーナ(平成29年)の開館、高崎芸術劇場の建設など、高崎が大きく変貌した10年で、中心市街地の活性化と新たな産業拠点づくりに取り組まれた。
一方、平成20年にリーマンショック、平成23年3月には東日本大震災が発生し、高崎の産業界も深刻な打撃を受けたことから、中小企業の経営に直接的に役立つ商工施策を実施した。
原さんは「進化と深化。一つのことを掘り下げていく中に、本当に新しいものがある」と語り、高崎の発展を牽引した。
中小企業が主役の伴走型支援
原さんは「日本の企業の99.7%は中小企業。中小企業が主役となる施策が重要」と語っていた。
高崎商工会議所は、平成23年度に小口資金融資制度の信用保証料の補助を要望し、翌24年度に高崎市が保証料を全額助成する制度が実現した。利用件数が2.75倍、金額は3倍に伸び、企業経営に貢献するとともに、全国から注目を集めた。
平成24年度には県内商工会議所として初めて経営革新等支援機関の認定を受け、支援事業に取り組んできた。平成27年度には「経営発達支援計画」認定、小規模事業者に寄り添った「伴走型支援」を推進、強化。また持続化補助金の採択数においても、商工会議所として優れた実績を上げている。
中心市街地の活性化を重点に
高崎駅西口の大型店進出を契機に、「まちなか再生」「高崎都心部への集客増大」を目指し、地元に密着した諸事業を積極的に展開された。
原さんは「商都・高崎ににぎわいを」と提唱し、大型店5店舗と商店街、JRなどが連携し「商都博覧会」を開催。先進的で全国でも珍しい取り組みとして話題になった。
新たな回遊性が生まれることを目的に道路空間を利用したオープンカフェ「高カフェ」や高崎まちなかコミュニティサイクル「高チャリ」も開始された。
「高崎の飲食業界の振興」、「高崎の新しい食文化の創造」、「食で高崎の街を元気にする」ことを目的に高崎中心市街地の飲食店を会場に「高崎バル」が開始された。
商工・農・観光・文化会議所に
6次産業や高崎市が提唱する「地産多消」など、新たな取り組みが活発となり、高崎市の物産を内外に発信するため、平成26年に東京駅で「高崎物産フェスタ」を開催。以後は新宿・浅草・池袋等で開催。また北陸新幹線の開業により、沿線都市の民間交流を図り事業を実施した。
平成18年の大合併を経て高崎市の市域が拡大し、商工業、観光面での可能性が広がりを見せた。
富岡賢治高崎市長との新春対談の中で、原さんは「名前は高崎商工会議所ですが、商工・農・観光・文化会議所 として取り組んでいきたい」と話し、富岡市長から「スポーツも加えていただきたい」と望まれ、高崎の未来を笑顔で語り合った。
激動の時代に、高崎商工会議所は原会頭のリーダーシップのもと、高崎市と高崎商工会議所が両輪となり、時流を踏まえた産業活性化策とまちづくりを行うことができた。平成27年には創立120周年を迎え、原さんが会頭を務めた期間に、新たな高崎がスタートしたことが実感できる。原さんは高崎を愛する心を原動力に、高崎の発展に全力を尽くした生涯であった。
原浩一郎 さん
略歴
昭和13年11月、高崎市生まれ。県立高崎高校から明治大学に進学、昭和35年に原株式会社に入社、昭和53年に原株式会社、群馬米穀株式会社(ぐんべい)、原地所株式会社代表取締役社長に就任。平成22年にエバーグリーン株式会社代表取締役会長、トリニティアグリ株式会社代表取締役に就任。
団体職歴
昭和62年:群馬県飼料商組合組合長。平成8年:全米商連協同組合副理事長。平成11年:群馬県教育委員会委員。平成13年:全国米穀販売事業共済協同組合理事。平成14年:群馬県肥飼料協会会長。平成19年:高崎商工会議所会頭。平成23年:群馬県産業教育審議会会長。平成29年:群馬県公安委員会委員。
賞罰
平成7年 群馬県総合表彰受賞(農水産業功労)。平成20年県功労者表彰受賞(地域農業振興)。平成25年旭日小綬章受章。令和2年従五位を拝受。
高崎商工会議所『商工たかさき』2020年11月号