私のブックレビュー2

『昨夜のカレー、明日のパン』

志尾睦子

木皿 泉著 河出書房新社

悲しみは、毎日の献立に溶けてゆく

 著者の木皿泉(きざらいずみ)は、脚本家である和泉努(いづみ・つとむ)と妻鹿年季子(めが・ときこ)の夫婦が一緒に執筆を行う時のペンネーム。「すいか」(03年)、「野ブタをプロデュース。」(05年)、「セクシーボイスアンドロボ」(07年)、「Q10」(10年)などのテレビドラマを手がけています。ドラマ視聴率は良かったとは言えないものの、独特の味わいを見せる脚本家として静かに話題になっていた人たちです。
 本作の骨格はテツコとギフの生活で、彼らを取り巻く人々を綴った連作集です。
 現在テツコは28歳。19歳で結婚し、僅か2年で夫に先立たれた未亡人。夫・一樹はガンであっけなく逝ってしまい、以後義父である連太郎とそのまま一緒に暮らしています。連太郎の妻・夕子は一樹が結婚する前に亡くなっているので、テツコとギフはそれぞれの伴侶を欠いた、でもまぎれもない家族として日々を過ごしています。テツコには岩井さんという恋人がいて彼は求婚もするけれど、テツコはどうやら結婚する気はないらしく、ギフとの生活をやめるつもりもないらしい。それは亡き夫への愛だとか、ギフへの遠慮とかとも少し違うようです。
 人一人がいなくなることの空白はとてつもなく大きく、その悲しみは澱のようにいつまでも沈殿するものなのに、時間は止まらず日常は流れていく。そうした中で、生活し、年月を推し進めていくのが生命体の性、その人間臭さが、程よいドライな文体で綴られているような気がします。
 例えば、免許を持たないテツコとギフが一樹のオンボロ車を手放すときの描写です。自宅の駐車場におきっぱなしにしていた車を、ある日いとこがどうしても欲しいと言って持って行く事になります。

 「じゃあ、家に連れて帰るね」
とまるで犬の子をもらうように、持って帰ってしまった。
 車ぐらい大きなものが突然なくなってしまうと、けっこう寂しいもので、「非常識なことを言っていい?」とギフは前置きして、
「一樹が死んだ時より、寂しいものだね」と言った。テツコも、じつはそう思った。

 肉体を持たない人間がいつのまにか思い出にすり替わっていくこと。物体の喪失に寂しさを肌で感じる〈いまここ〉の感覚。木皿泉の表現力は、はっきりとした現実を、とてもさらりと言ってのけてしまうところにある気がします。とても地味な物語なのに、なんとも生き生きとした人間ドラマが見えてきて、面白おかしく切なく読み進められた一作でした。

志尾 睦子(しお むつこ)
群馬県立女子大学在学中にボランティアスタッフとして高崎映画祭の活動に参加。群馬県内初のミニシアター「シネマテークたかさき」の総支配人を務めると同時に、日本を代表する映画祭である高崎映画祭総合プロデューサーとして活躍。

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