私のブックレビュー1

『萩を揺らす雨 紅雲町珈琲屋こよみ』

志尾睦子

吉永南央著 文春文庫

珈琲と人生は味わい深い

 本作は、76歳のおばあさん・杉浦草(そう)を主人公とした短編の連作集。紅雲町とは、お草さんが暮らす町ですが、馴染み深い街並みがその描写に見て取れます。第1編「紅雲町のお草」の出だしはこうです。

 この日の雪が始まりだった。
「あさってには春がくる」
 丘陵の上から大きな観音像が見下ろす街の、ゴルフ場や自動車教習所を抱える広い河原に立って、杉浦草はそう呟いて自分を励ました。
(中略)
国道の奥にそびえる市役所の銀色の新庁舎が、昭和初期に完成した大観音像と川を挟んでにらめっこしているのに目をやって、二十一世紀とはおかしなものだと、あらためて草は思った。
 作者は高崎市在住の作家、吉永南央さん。お草さんが暮らす街は高崎がモデルです。第43回オール讀物推理小説新人賞を受賞した「紅雲町のお草」を含む連作小説『紅雲町ものがたり』(2008 文藝春秋 単行本)が、吉永さんの初出版本。単発で終わる予定だったお草さんの物語はシリーズ化されることとなり単行本化する際にタイトルも一新。本作が紅雲町珈琲屋こよみシリーズの第一弾と位置付けられました。
 お草さんは、コーヒー豆と和食器を扱う「小蔵屋」の店主です。祖父から続く日用雑貨店を古民家の古材を使って建て替え、商売を一新したのが65歳のとき。余生を夢にかけたお草さんの気概が、小蔵屋には詰まっています。訪れるお客さんには一杯のコーヒーをサービス。お客さんの顔を見て器を選び、手間をかけてコーヒーを淹れる、その香りと立ち上る湯気に、お草さんの日常があります。コツコツと日々を丹念に生き、毎朝河原沿いを散歩し、道端のゴミを拾い、観音様に手を合わせ、街の空気を吸い込む。ふと感じた不思議を、お草さんは76年の人生を使って紐解き善処していきます。
 事件は出来事に、謎は掛け違えに、解く鍵は人生に、そして解決は善処になってしまうのがお草さん。仰々しくいえば、お草さんは、日常の謎を解き明かしていく名探偵。でも、やっぱり彼女は普通の「小蔵屋」のお草さんでしかない。あるようでなかった推理小説の面白さがここにあります。毎日は、同じように繰り返されながら、しかしかけがえのない一瞬の繰り返しであることをお草さんは、そっと教えてくれるのです。
 お草さんのそんな人生を彩っている原風景が高崎の街並みであれば尚のこと、親近感も共感も2倍感じるというものです。珈琲のように味わい深い人生模様が垣間見られます。

志尾 睦子(しお むつこ)
群馬県立女子大学在学中にボランティアスタッフとして高崎映画祭の活動に参加。群馬県内初のミニシアター「シネマテークたかさき」の総支配人を務めると同時に、日本を代表する映画祭である高崎映画祭総合プロデューサーとして活躍。

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