上野国分尼寺跡/金堂・回廊調査で成果
(2020年08月13日)
伽藍主要部の施設配置明らかに
高崎市教育委員会は、上野国分尼寺跡の令和2年調査成果について、8月4日に報道機関に現地説明を行った。
寺の中心的施設ある金堂の位置と規模が判明し、伽藍(寺院の建物群)の主要な建物の配置が概ね明らかになった。
寺院内に巡らされ金堂と接続する回廊については、東側部分に礎石5カ所が発見され、これまでの調査結果に加えて、回廊の規模、構造を想定するための重要な成果が得られた。
1 上野国分尼寺跡の概要
天平13年(741)、聖武天皇の「国分寺建立の詔(みことのり)」により、上野国分僧寺(現在の史跡上野国分寺跡)とともに、上野国分尼寺が創建された。僧寺。尼寺は8世紀中ごろのほぼ、同じ頃の創建と考えられる。
【調査の経緯】上野国分尼寺跡は昭和44年・45年の群馬県調査で約190m四方の寺域(伽藍地)が想定された。平成12年に前橋市教育委員会、群馬町教育委員会調査、平成28年に上野国分寺調査検討委員会、平成28年からの調査で尼坊跡、回廊、範囲確定につながる成果を得ている。
2 金堂の規模・構造がほぼ確定
金堂跡は昭和44年45年調査で想定。これまでの尼坊、回廊調査でより正確に位置確定が可能となり、今回、主要部に配置された金堂と推定される建造物の基壇と判断される盛土が確認された。東西27・3m、南北20・1m、基礎地業(堀込地業じぎょう・じがた=地盤を一定の深さまで掘り下げ突き固めた土を充填する工法。大型瓦葺建物に用いられる)の厚さは1m程度。
3 東面回廊跡の礎石を確認
これまでの調査で、回廊の規模は東西52・2m(174尺)、南北40・2m(134尺)、梁間(はりま)4・2m(14尺)、桁行(けたゆき)3・0m(10尺)が計測されている。
今回、東面回廊でほぼ現位置の礎石が5カ所発見された。また幅8mにわたって厚さ1mの強固な地業が行われていた。
9月5日(土)から9月26日(土)までかみつけの博物館ロビーで遺構の写真パネルや出土品等の展示が行われる。
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