髙崎唱歌
散歩風景33
吉永哲郎
唱歌の33番は、「寿橋を過ぎ行けば 新田南町 右手に見ゆる杉森は 愛宕神社の境内ぞ」です。
「寿橋」は中山道新町新田町との境の遠構掘に架かっていた石橋のことです。現在は堀が埋めたてられ石橋はありません。1873年(明治6)、91歳の新町の篤志家・岡田孫六さんが4mほどの石橋を架けたのですが、江戸時代は堀に橋を架けることは許可されませんでした。
「新田町」は1606年(慶長11)新後閑村の人々が移住してできた町です。「高崎案内」には、「烏川染張工場、和田染工場等ありて」と染工場を中心とした人々が機敏に働いていました。その工場の面影はありませんが、近年まで白井染工場がありました。町には鍛冶屋、のこぎりの目立て屋など職人町の姿がありました。
あら町と新田町の境に駅までの観音道路が通っていますが、以前は細い道で家が建て込んでいたところです。戦時中の強制疎開によって拡張された道路です。
「南町」は1650年(慶安3)、藩主安藤氏によってできた町。市内を直線で通る中山道が、南町の黒沢歯科医院の交叉点で東に折れます。この交差点は城下の下口の番所があったところです。明治になって南町交番が設けられましたが、今はありません。交差点の西のへの突き当りに、若松町との境に和田氏創建の「愛宕神社」が鎮座しています。杉木立の鬱蒼とした鎮守の森でしたが、ケヤキの大木がその面影をわずかに残しています。境内は保育園から元気な園児の声が響いています。
次回は南町散策です。