髙崎唱歌
散歩風景 26
吉永哲郎
唱歌の27番は、「九蔵町には大雲寺 銀行問屋数多し 北につらなる町々は 椿高砂山里町」です。
九蔵町は慶長6年(1601)頃、北爪九蔵という人が住み名主をつとめていたので、その名をとり町名としたといわれ、一説には九棟の蔵があったことから町名になったという伝承もあります。
高崎の街並みは随分と変わりましたが、中でも九蔵町の面通りは著しいと感じます。昭和末年まではちょっとした赤煉瓦の洋風建築が建ち並び、独特な雰囲気をもった町でした。九蔵町は、高崎に初めて銀行が置かれた町です。
明治8年(1875)、旧商工会議所の北隣に第二国立銀行高崎支店が設置されました。翌年に前橋に支店がでましたが、県下で先駆となる銀行設置は、当時の高崎が商業の町として将来の発展が期待されていたことを物語ります。
この銀行は一般銀行業務の他に大蔵省御用日本銀行代理店を兼ねていました。開設当初、銀行入口に「御用」の高張提灯が建てらて、行員は袴着用で短刀を帯びていたといわれます。
さてこの第二国立銀行は日本最古の国立銀行の一つで、明治7年に設立されました。その翌年に高崎支店ができたのですから、高崎が県下の経済活動の拠点として認められていたことがわかります。
この銀行の発起人の中に高崎生まれの生糸貿易商茂木惣兵衛の名があります。
高崎っ子でしたら、この町にニコライ堂を小さくしたドーム型の屋根や赤煉瓦の銀行街に、異国情緒あふれる街並みを、思い浮かべられましょう。
(2019年6月稿)