平成時代の高崎(1)
(2019年03月30日)
データで振り返る平成の高崎
バブル崩壊と長期不況からの回復
平成元年末、東京証券取引所一部の平均株価は史上最高値をつけてバブル経済は頂点を迎えた。平成2年10月に株価が暴落してバブルがはじけ、株、土地、マンションなど巨額の資産が吹き飛んだ。企業の倒産が相次ぎ、日本経済は長期的・構造的な不況に陥った。
「先行き不透明」な不況は長期化し、平成12年(2000)頃にITバブルがあったが、平成20年(2008)リーマンショックで産業界は大きな打撃を受けた。
グラフ1は、高崎市連雀町の地価の変化を示したもので、昭和63年の101万円/㎡が平成4年の最高値で238万円となり四年余で2・3倍に高騰したが、バブル崩壊により20万円を割り、10分の1以下まで下落した。
この間、高崎市の住宅建築件数は、群馬県一となっており、高崎駅西口前は平成4年の最高値で498万円/㎡、現在は35万円前後で推移している。箕郷地域、群馬地域は高崎都市部近郊の住宅地として人口増加が顕著となった。中心市街地などでは昭和時代後期に計画された区画整理が進み、土地利用の高度化により、平成18年をピークに、マンション建設ラッシュの波が押し寄せた(グラフ2参照)。マンションの建設途中でデベロッパーが破綻するケースがあり、放置されて都市問題となった。
不況下においても高崎市では都市開発への投資意欲が高まり、高崎駅東口エリアでは、群馬県で初めて地価が下げ止まりし、上昇に転じた。
平成の大合併で群馬県一の都市に
合併前の高崎市の人口は24万人、前橋市は28万人で、群馬県最大の都市は県都前橋であった。
高崎市は平成18年1月に倉渕村、箕郷町、群馬町、新町と合併し人口約31万人、中核市の要件を満たしたが、人口では先に勢多郡域等と合併していた前橋市が上回った。平成18年10月に榛名町と合併し人口約34万人となり、群馬県一の都市となった。平成21年6月に吉井町と合併し人口37万人となった。高崎市は平成23年4月に中核市に移行した。これにより、都市力を比較する土俵が人口30万人の都市となった。
群馬県の人口は平成17年から減少に転じたが、高崎市の人口は増加傾向を維持してきた。人口減少と少子高齢社会の進行に伴い、高崎市の人口も微減傾向にある。少子化、高齢化の指標値も楽観視できない(グラフ3・表1参照)。
単身赴任など、高崎市で活動しているビジネスマンについては、住民票を高崎市に移していないケースも少なからず見られるので、統計で示される人口は、高崎の都市活力を十分に反映していない。高崎市は、政令市級の都市力を備えていくとともに、産業力を人口増へつなげていく施策を示している。
高崎が全国ランクに登場、政令市がライバルに
高崎の産業は、古くから広域的な取引によって発展してきた。明治以来、高崎の先人たちは、全国に高崎を響かせるような発展を目指してきたと言えるのではないだろうか。
一般に、都道府県を代表する都市は県庁所在地になるので、高崎市民の自負とは別に、高崎市が全国統計の中に登場することはなかった。
しかし近年では、全国の中で高崎市のポジションも客観的に示されるようになった。全国ランキングで高崎市のビジネス力が示されたのが平成25年(2013)に発表された平成24年経済センサスの市町村ランキングで、卸売と小売を合計した商業売上が2兆9,027億円で、全国14位に高崎市がランキングされた。直近では15位となっているが、中核市では第1位、政令市と肩を並べている。
経済専門誌による都市力ランキングでも高崎市が評価を受け始め、幸福度3位(中核市)〈東洋経済新聞社・2016年8月〉、活力ある都市29位(全国)〈日経ビジネス・2016年1月〉、働きたい街(駅)ランキング20位(関東)〈DODA・2018年11月〉など、高崎市に対する全国の注目度が大きく変わった。
高崎商工会議所『商工たかさき』2019年2月号
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